旅人マイケルオズのニッポンひとり旅語り

全都道府県を巡り歩いた旅人が、ひとり旅で訪れた旅先の素晴らしさ、楽しいエピソードなどを紹介し、併せて旅の情報やノウハウも語っています

楽しい観光列車「海幸山幸」号 2019年宮崎の旅(その1)

1年前の2019年6月に宮崎県をひとり旅しました。その思い出話を振り返り、宮崎の旅シリーズとして連載していきます。

 

まずは、旅のスタートを飾った観光列車「海幸山幸」号です。この列車は、日南線宮崎駅南郷駅を往復しており、飫肥杉を使ったデザインの車体はなかなかお洒落。ゆったりとした車内でくつろぎながら、観光目的地に向かえます。

アテンダントが乗車しており、車内販売をはじめ、記念撮影のお手伝い、さらには列車の呼び名となった神話の「海幸山幸」の紙芝居も上演します。日南線は太平洋沿いを走る場所もあり、撮影スポットでは徐行運転をしてくれました。

座席がゆったりしているので、とてもリラックスできるのが特徴。地ビール「太陽のラガービール」を販売しており、当然ですが一杯いただきます。おつまみには、飫肥駅で「おび天」を購入するつもりでいます(笑)

飫肥駅では10分間の停車時間があり、飫肥城下祭り「泰平踊り」の装束姿の方が乗客をお出迎えして下さいました。駅舎の外では、近くの保育園児たちが並び、列車の発着時には元気に手を振ってくれ、心が和みましたね。(つづく)

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飫肥駅に到着した「海幸山幸」号

mykeloz-hitoritabi.hatenablog.com

日高本線の旅を振り返ってみる 2010年6月

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日高本線新冠駅(2010年)

旅道楽を名乗る私としては、新型コロナウイルスの影響で旅行が出来ない現状に悶々とする毎日が続いています。思い起こせば、10年前の2010年6月には、北海道の日高地方を旅行し、念願の襟裳岬を訪れていました。

その時利用した交通機関が「日高本線」です。苫小牧から襟裳岬最寄りの様似まで約4時間かかりますが、途中下車をしながら往復乗り通しました。ほぼ太平洋に沿って走っているので、海の景観や海と共に生活する人々の暮らしが垣間見れます。

また、日高地方はサラブレッドの産地として知られており、沿線には馬の牧場がいくつもあります。北海道では牛の放牧はよく見かけますが、列車に乗りながら馬の放牧が見られるのは、日高本線ならではの楽しみといえます。

ただ、日高本線は現在、路線の大部分が運休しています。冬の爆弾低気圧による高波の被害、さらには胆振東部地震でも被害を受け、復旧のめどはたっていません。JR、道と地元自治体との間で「廃線・バス代替」の議論も進められているようです。

刺身旅館のすごいラインナップ 2010年6月

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さんすいかくの刺身盛り合わせ

2010年6月、私は襟裳岬に夕方到着しましたが、その先バスで移動できるところはなくなりました。したがって、「何もない」襟裳岬に宿を取る必要があり、刺身旅館の看板を掲げる「さんすいかく」さんに泊めていただきました。

風呂に入って部屋で待っていると、女将さんが大皿に盛った刺身をはじめとした料理を持って来てくれました。刺身のネタはご主人が仕入れたという新鮮な海の幸がずらりと盛り付けられ、大皿を見た瞬間「これは1人前なのか?」とびっくりしたほどです。

この時のラインナップはツブ貝、ボタンエビ、ホッキ貝、マツカワ、ソイ、キンキ、タコ、サーモンなど10数種類。天ぷらはハマボウフウやタラの芽といった山菜を出していただき、海と山の旬の味覚を堪能いたしました(笑)。

もとより「何もない」場所なので、旅館の部屋でじっくりと腰を据えて飲むばかり。ペースが遅い私のために、女将さんに料理の片づけを翌日にまわしていただく配慮もしていただき、とても感謝しています。

襟裳岬に行くだけでもなかなか大変ですが、もう一度泊まりたい旅館の一つです。

歌そのものの光景が広がる襟裳岬 2010年6月

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襟裳岬(2010年)

 森進一の代表曲の一つに「襟裳岬」という歌があります。とりわけ、歌詞の最後に出てくる「襟裳の春は何もない春です」という言葉が印象深く、いったいどういう土地なのだろうかと襟裳岬への旅情を駆り立ててくれます。
 襟裳岬は北海道十勝地方の最南端にあり、この地にたどり着くだけでも容易ではありません。ルートは二つあり、苫小牧から日高本線(現在一部不通)で様似まで行き、さらにバスを使う方法と帯広からバスを広尾で乗り継いで向かう方法があります。
 2010年6月に訪れた際は日高本線経由で向かい、途中の静内で観光した時間を除いても、苫小牧から4時間もかかりました。様似駅からえりも町を経て、襟裳岬に近づくにつれて人家も少なくなり、荒れた丘陵地が続く道のりだったのです。
 岬の突端から先に広がるのは大海原ばかりで、最果て感ただよう光景に思わず襟裳岬のフレーズ「何もない春です~」と口ずさんでしまうほど(笑)。夕方という時間帯もあり、歩いているのは私一人。出迎えてくれたのは2匹のキタキツネだけでした。
 そんな襟裳岬にある旅館に泊まったお話を次回したいと思います。

大河ドラマを旅する~2020年「麒麟がくる」岐阜市~影の薄い斎藤義龍はドラマでもナレ死・・・

斎藤義龍は、美濃の蝮(まむし)と恐れられた父の斎藤道三との確執が深く、実の親子ではないとも言われています。「麒麟がくる」では伊藤英明さんが、悩み苦しむ義龍の人物像を演じてきました。が、24日の放送でナレ死となったのです(苦笑)

岐阜城の近くにある常在寺は斎藤家の菩提寺で、斎藤道三と義龍の画像(掛け軸)を所蔵しており、国重要文化財に指定されています。細面で眼光鋭い道三とふくよかな義龍の描かれ方が好対照で、実の親子ではないという説もうなづける気がします。

織田信長が美濃侵攻を始めた時には、すでに義龍はこの世におらず、子の龍興が当主として信長と対峙しました。このため、義龍という人物はどこか影が薄く、道三との父子の争い以外はあまり歴史上に登場してきません。

麒麟がくる」は今、新型コロナウイルスの影響で撮影が中断し、間もなく放送自体も中止になります。勝手な推測ですが、義龍のナレ死もこの影響があったのではないでしょうか。消化不良気味の「伊藤」義龍の退場は残念でなりません。

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常在寺(2020年)

宿泊経験のない県庁所在地その3~青森市

宿泊経験のない県庁所在地の3つ目は青森市です。青森県には東北各県で一番来訪しているのですが、なぜか青森市に宿泊するプランを組んでいませんでした。ちなみに人口が2番目に多い八戸市、3番目の弘前市には泊まっています。

青森市に初めて訪れたのは1993年で、十和田湖から奥入瀬を経由してバスで青森市入りし、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸のみ見学してから次の目的地に移動しました。宿泊する選択肢があった唯一の旅行だったかもしれません。

2002年には寝台特急はくつる号で青森駅に着き、駅前市場で朝食をいただいてからレンタカーで津軽半島を北上する旅に出発しました。青森市に降り立ったのは、その2回だけで、20年近くご無沙汰していることになります。

東北へは2014年5月の仙台市以来、旅行をしていません。実は6月に青森市秋田市を旅行する計画を立てていましたが、新型コロナの影響を考慮して4月中に計画中止を決めたのです。そう遠くない時期に、旅行できることを願っています。

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八甲田丸船内(1993年)

宿泊経験のない県庁所在地その2~佐賀市

宿泊経験のない県庁所在地は3都市ありますが、今回は佐賀市について書きます。佐賀県にはこれまで3回訪れていますが、うち2回は唐津市のある県の北東部であり、佐賀市に足を踏み入れたのは1998年に1度あるだけです。

この時は長崎への観光をメインとした旅行で、2泊3日の最終日に佐賀駅から数時間の佐賀市内観光を行いました。20年も前のことですが、当時の佐賀はあまり観光を意識しておらず、史跡も点在しているだけという感じでした。

その後、2002年に列車の乗り換えで佐賀駅のホームに立ったくらいで、佐賀市とは縁がありませんでした。幕末に雄藩の一つに数えられ、鍋島閑叟大隈重信江藤新平らを輩出した地なので、改めて歴史散策してみたいです。

佐賀市へは、昨年の10月に訪れる計画が家族の病気と台風19号で実行できず、今年の3月に大分市とセットで立てた計画も新型コロナで断念と、巡り合わせはよくありません。年内にはぜひとも「3度目の正直」で来訪を果たしたいと願います。

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佐賀の「葉隠