noteとのコラボエッセイとして、毎月2回ペースで「なつかしの鉄道乗りある記」を連載します。このエッセイは、今は廃線となってしまった地方ローカル線や第三セクター路線の乗車体験記として綴っていきます。

なつかしの鉄道乗りある記「ちほく高原鉄道・往路編」第4話 - 旅人マイケルオズのニッポンひとり旅語り
「ちほく高原鉄道・往路編」第5話
川上駅は、タクシーが駅前まで乗り入れられるように、車でのアクセスというのは非常に簡単である。ところが、列車で川上駅を訪れようとするとちょっと難しい。
昼間は1本しか停車する列車がない。朝と夕方、夜を含めても7本だけというアクセスの悪さ。周辺には人家はおろか、人がいるという気配すらまったくない場所である。
川上駅は、国道が通っているため閉鎖空間という感じはしない。ただどうして、こんな無人地帯に、しかも古いながらも立派な駅舎の駅があるのかと不思議に思う。かなえることは困難ではあるが、真冬に来てみたいという気もする。
その駅舎に一歩足を踏み入れてみる。駅舎の大部分の場所は、施錠がされているうえに窓に目張りがしてあって、中をうかがい知ることはできない。待合スペースのみ居場所として確保されており、思ったよりはきれいに掃除されている。
駅舎からホームに出ると、一面のホームに一列の線路だけの駅であった。ただ、連結跡が見られたので、ここもかつては交換駅だったことがしのばれる。ホームがあったであろう対面は、今は雑草に覆われて見る影もない。
駅名板と古い駅舎を一緒に撮影するなど、しばらくの間は写真撮影に追われながらも駅やそのまわりをうろうろする。国道は車の量こそそれほど多くはないが、時折静寂感を引き裂くようなトラックの音が聞こえたりもする。
国道沿いということもあって、この駅に滞在中の1時間半くらいの間に、時々車で駅に乗りつける人がいた。そのほとんどは、観光の途中に寄った人かマニアと思われる人であるが、なかには地元のドライバーも。ちょうど駅前が安全な休憩スペースになっていることもあるのだろう。
車で乗りつけた人たちは、駅舎周辺をぐるぐる見て回ったあと、そそくさと駅を去っていく。もしかすると、こんな駅にいるはずもない乗客(私のこと)が待合室に陣取っていたからかもしれない。
せっかく来たのだからと思い、そのうちの一人の年配の男性に声をかけ、駅名板と駅舎と一緒に記念撮影のシャッターを押してもらった。アングル的に三脚でもないと撮影不可能だと思っていたので、これはたいへんいい記念になった。
その方は旭川に住んでおり、仕事の関係でよく国道を通るのだそうだ。紅葉もほぼ終わりで、もしかすると10月中には一度雪が降るかもしれないと話していた。
駅を訪れる人が去ると、再び駅舎周辺には私ひとりとなる。あらかじめ帯広駅で購入してきた「豚どんにぎり」を食べながら、しばしくつろぐ。
駅舎内には、心に刻もう!ふるさと銀河線の会が作った川上駅の案内文や駅ノートがあった。駅ノートは最初の記載が新しかったので、つい最近設置されたようである。あるいは、以前のノートを持ち去られたために新設したのかもしれない。
案内文を読んでみると、この川上駅が大正8年に開業したことがわかる。たぶん、駅舎もそのときに設けられたのであろう。かつては林業が盛んで、材木の運び出しには鉄道は切っても切り離せなかった。
このあたりも入植者が多かったようで、川上駅も大正12年には一日平均80人という乗降客があったそうである。ただ、だんだんと林業も衰退し、それとともに駅周辺から人が去り、ついには駅だけが残る無人地帯になってしまった。
それでも駅はなんとか存続してきたのであるが、今度はその駅にやってくる鉄道が廃止になってしまうとは皮肉なものだ。
(つづく)
★このエッセイは、ホームページ「旅道楽ノススメ」に掲載した鉄道乗車レポートをリメイクしたものです。
★マイケルオズのnote





