幕末に起きた水戸の志士らによる天狗党挙兵は、最終的には粛清されてしまうという悲劇として今も伝わっています。天狗党に対し、幕府から阻止を命じられた諏訪の高島藩・松本藩が迎え撃ったのが和田峠の合戦で、地元住民が戦死した水戸浪士たちを丁重に弔いました。下諏訪町では毎年、慰霊祭が行われており、水戸市の回天神社の方々も参列されているようです。
2007年2月に水戸市を観光した際、幕末の歴史に関心があった私は、自身の好奇心と諏訪にも少なからず縁があることから回天神社を参拝することにしました。思ったよりも質素な神社だなと思いましたが、それとは対照的に立派な墓所が整然と並んでいたのが印象深かったです。その墓所こそ、天狗党挙兵に参加した水戸の志士たちの墓でした。
神社内には、当時投降した天狗党を処罰のため押し込めたニシン蔵を移築し、資料室とした回天館という建物があります。管理している方に図録のようなものがないか尋ねたところ、ひょんなことから回天神社の代表役員さんに取り次いでいただき、代表役員さんからしばし神社などを案内してもらい、大変恐縮したことを覚えています。
代表役員さんのお話で印象に残ったのは、「回天館の資料だけを見学し、神社へのお参りをせずにそのまま帰ってしまう人もいる」との言葉。回天神社が水戸の志士たちをまつっていることを考えれば、これはまさに本末転倒だなと私も思いました。と同時に、水戸の人々の志士への誇らしげで熱い思いが伝わってきました。