旅人マイケルオズのニッポンひとり旅語り

全都道府県を巡り歩いた旅人が、ひとり旅で訪れた旅先の素晴らしさ、楽しいエピソードなどを紹介し、併せて旅の情報やノウハウも語っています

武士道を貫いた女性の足跡を訪ねて 2013年4月

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りりしい姿の中野竹子の像(2013年)

 幕末から明治維新にかけての時代は、人々が命をかけて新時代を築こうとしていたためか、個性的かつ魅力的な人物をたくさん輩出しています。中には、その時の政治状況で朝敵や罪人になってしまった人たちもいますが、出身地に赴くと例外なくその人たちは郷土の英雄として今も慕われています。

 2013年は大河ドラマ「八重の桜」が放送され、会津藩が脚光を浴びました。主人公の新島八重が、会津戦争で新政府軍相手に奮闘したシーンが印象深く描かれていましたが、会津新島八重よりも知名度が高く、新政府軍に一歩も引かなかった勇敢な女性がいたことを同年春、旅先の会津若松市で知ることができました。

 その名は中野竹子大河ドラマでも少しだけ登場していましたが、彼女は戦争のさなかに銃弾を浴び、敵に辱めを受けるくらいならと自決の道を選んだことで知られています。会津武士道を体現した人物ではありますが、その辞世が「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」だったのです。

 「私など、会津武士に比べれば物の数でもない」という自らを謙虚に見つめ、同時に武士道を誇り高く思う心。この辞世を見て、私は思わず目頭が熱くなりました。しかも戦中で自刃した竹子を介錯したのが妹だったと聞き、涙があふれました。薙刀を振るう勇ましい竹子の像は、観光地から外れた小さな公園に静かにたたずんでいます。