平成に入って間もない1991年に大噴火した島原半島の雲仙普賢岳。6月3日の大火砕流では多くの犠牲者が出たほか、土石流でも甚大な被害がありました。私は17年後の2008年に火山学習体験施設を訪れました。
大火砕流では、マスコミ関係者のほか、消防団や警察官、タクシー運転手らが犠牲になりました。当時、警戒区域内での報道合戦が過熱化し、地元の方のほとんどが警備関係者や取材協力者だったことを思うと、とても胸が痛みました。
施設の一角で、フランス人火山学者が撮影した映像を紹介していました。世界各地の火山の噴火の様子や流れ出る溶岩の迫力に圧倒されたのですが、その映像を撮った学者夫妻も調査中に大火砕流に巻き込まれたことを知りました。
映像を見ながら、私の脳裏に「学者夫妻は火山に生き、火山に死んだのだ」との言葉が浮かびました。同時に、百戦錬磨のはずの研究者ですら大火砕流を予測することができなかったわけで、自然災害の恐ろしさを改めて痛感させられたのでした。